戦争とは
8月15日やジョン・レノンの誕生日や命日、
この頃ではノーベル平和賞が話題にあがるころ、
必ずといって「戦争反対」ということが騒がれる。
この永遠のテーマはもちろん賛成である。
しかし、今の日本を見ていると、確かに太平洋戦争や日中戦争など、
近代に起こった戦争について、その愚かさや悲惨さについて語られている。
ところがどうだ、
そのちょっと前の新撰組や長州藩の志士たちは、ヒーロー扱い。
新撰組の粛清や、長州藩の国家転覆テロは、
武力を使用して勢力を拡大していたことに対し、
今の日本にそのことを咎める若者はほとんどいない。
生き証人がいるからなのか。
リアルに感じとれないからなのか。
あと、100年もすれば、「肉弾三勇士リアン」
とか「おもてなし特攻隊」とかできるのだうか。
こんなことは、不謹慎かもしれないが、
なぜ昭和になってから戦争しか検証しないの。
それまでずっと日本はサムライ、ハラキリの世界だったんじゃないの?
ゆるキャラにも戦国武将が登場して盛り上がっているけど、
反戦って上辺だけ。
どこまでは戦犯どこからは英雄。
この頃ではノーベル平和賞が話題にあがるころ、
必ずといって「戦争反対」ということが騒がれる。
この永遠のテーマはもちろん賛成である。
しかし、今の日本を見ていると、確かに太平洋戦争や日中戦争など、
近代に起こった戦争について、その愚かさや悲惨さについて語られている。
ところがどうだ、
そのちょっと前の新撰組や長州藩の志士たちは、ヒーロー扱い。
新撰組の粛清や、長州藩の国家転覆テロは、
武力を使用して勢力を拡大していたことに対し、
今の日本にそのことを咎める若者はほとんどいない。
生き証人がいるからなのか。
リアルに感じとれないからなのか。
あと、100年もすれば、「肉弾三勇士リアン」
とか「おもてなし特攻隊」とかできるのだうか。
こんなことは、不謹慎かもしれないが、
なぜ昭和になってから戦争しか検証しないの。
それまでずっと日本はサムライ、ハラキリの世界だったんじゃないの?
ゆるキャラにも戦国武将が登場して盛り上がっているけど、
反戦って上辺だけ。
どこまでは戦犯どこからは英雄。
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暴力に訴えるということ
最近、とくに思うことなんだけど、やっぱり暴力に訴えるという行動はいけないことなんだと思うなぁ。前は正義の暴力があるという夢想もしていたけど、暴力には正義もなにもない。暴力を振るった側は、暴力を受けた側の家族や親族から絶対に恨まれて、そしてそれが暴力の連鎖になっていく。暴力を受けた側が、今度は暴力を振るう側になる。
戦争で幸せになる人は絶対にいない。儲けるヤツはいるかもしれないけどね。
この構造に気がつかない限り、新撰組や戦国武将が暴力的であったことには、なかなか気がつけないのかもしれないです。
なによりも想像力ですよね。イマジン。ジョンは「戦争のない世界を想像してごらん」と唄ってたけど、私は戦争のない世界をイメージするんではなく、戦争での被害と、その家族の心情を想像したいな。これを想像できれば、暴力を振るうことが愚かなことであるということに気がつくように思います。
戦争で幸せになる人は絶対にいない。儲けるヤツはいるかもしれないけどね。
この構造に気がつかない限り、新撰組や戦国武将が暴力的であったことには、なかなか気がつけないのかもしれないです。
なによりも想像力ですよね。イマジン。ジョンは「戦争のない世界を想像してごらん」と唄ってたけど、私は戦争のない世界をイメージするんではなく、戦争での被害と、その家族の心情を想像したいな。これを想像できれば、暴力を振るうことが愚かなことであるということに気がつくように思います。
確かに暴力に訴えることはあっては、
今後あってはいけないことこもしれない。
しかし今までの歴史を振り返ると、人間は思考することが出来るのに、
本能のまま、闘いを繰り返してきたのかもしれない。
その愚かさについて周囲に流されることなく、
気づいてほしい。
そして考え、自分の言葉で
伝えてほしい。
今後あってはいけないことこもしれない。
しかし今までの歴史を振り返ると、人間は思考することが出来るのに、
本能のまま、闘いを繰り返してきたのかもしれない。
その愚かさについて周囲に流されることなく、
気づいてほしい。
そして考え、自分の言葉で
伝えてほしい。